いなくなったのは午後5:00~6:00ぐらいの間で、連れ去られた現場はわかっていませんが、容子さんが乗っていた自転車が放置されていたのが川沿いであることから、この付近で何者かに連れ去られたものと思われます。
翌1991年1月1日に石嵜さんの家に容子さんから電話があり、「周りにたくさん人がいて帰れない」と話していたとの証言があります。

容子さんはクラブ活動を終えて一度自宅に帰った後、友人と一緒にスーパーで買い物をし、ガラス工場がある十字路で友人と別れたあとに帰路についたことになっています。
この地区で言うスーパーはおそらくマスダ三和店ではないかと思います。このスーパーは30年ぐらい前からこの土地にあります。(編集人も茨城に住んでおりますが、やはり近隣に1980年台からマスダがあります。現在カスミ三和店というスーパーも近辺に存在しますが、1990年時点ではまだできていなかったようです)
友人はたぶんガラス工場の北のほうに住む方なのではないでしょうか。そしてガラス工場はハリオという会社だと思われます。
そこから容子さんが自宅方面に帰るわけですが、途中に川がありまして、その辺りに自転車が放置されていたということです。尚、自転車は自宅と反対方向に向いていたようですが、もみ合ったり逃げようとした可能性もあるのであまり参考にはならないと思います。
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地点①を東に見た景色。右電柱に電灯あり。 |
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地点①を西方向に見た景色。かすかに先の電柱に電灯がついているのがわかります |
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地点②を東に見た地点。一面畑です。大声を出しても気付かないか、この場所に来るまでに逃げられます |