2017年12月31日日曜日

石嵜容子さん行方不明事件

1990年(平成2年)12月31日の大晦日、茨城県猿島郡三和町に住む中学2年の石嵜容子さん(14)が行方不明になりました。

いなくなったのは午後5:00~6:00ぐらいの間で、連れ去られた現場はわかっていませんが、容子さんが乗っていた自転車が放置されていたのが川沿いであることから、この付近で何者かに連れ去られたものと思われます。

翌1991年1月1日に石嵜さんの家に容子さんから電話があり、「周りにたくさん人がいて帰れない」と話していたとの証言があります。



容子さんはクラブ活動を終えて一度自宅に帰った後、友人と一緒にスーパーで買い物をし、ガラス工場がある十字路で友人と別れたあとに帰路についたことになっています。

この地区で言うスーパーはおそらくマスダ三和店ではないかと思います。このスーパーは30年ぐらい前からこの土地にあります。(編集人も茨城に住んでおりますが、やはり近隣に1980年台からマスダがあります。現在カスミ三和店というスーパーも近辺に存在しますが、1990年時点ではまだできていなかったようです)

友人はたぶんガラス工場の北のほうに住む方なのではないでしょうか。そしてガラス工場はハリオという会社だと思われます。

そこから容子さんが自宅方面に帰るわけですが、途中に川がありまして、その辺りに自転車が放置されていたということです。尚、自転車は自宅と反対方向に向いていたようですが、もみ合ったり逃げようとした可能性もあるのであまり参考にはならないと思います。

地点①を東に見た景色。右電柱に電灯あり。
ただ、川沿いの道というのがこれまた寂しい道で、グーグル・マップで見てみますと周辺に家がほとんどなく、12月末の17:00以降になると真っ暗で人通りもない道だというのがわかります。

地点①を西方向に見た景色。かすかに先の電柱に電灯がついているのがわかります

地点②を東に見た地点。一面畑です。大声を出しても気付かないか、この場所に来るまでに逃げられます

地点②を西に見た橋付近。ここには電灯がまったくありません


当時は1990年でこの写真(2012年時点)から22年も前であり、さらに閑散としていたであろうこと。以前確認された情報として「自宅そばの川沿いに自転車が放置されていた」という話から地点②あたりで自転車が発見された可能性が高いです。

 また、自転車の前かごにはスーパーで買い物をした袋が残されており、中にはスナック菓子、ノート、袋ラーメンが入っていたことから「家出」の線は極めて薄いと考えられます。(家出をする前に学校で使うノートや、鍋でつくるラーメンを買わない) 

 以上のことからこの事件は拉致、しかも北朝鮮の拉致の疑いが極めて濃厚と思われます。理由としては「人がいない、あるいは気づかない場所・時間帯を狙った計画的拉致」「拉致した後、電話できる環境=生かして北朝鮮につれていく」「大人数による組織的犯行(大勢周りに人がいる)」などです。

当然、一般の中学女子を組織的に拉致する集団など日本にはまずいませんから・・・ もし北の拉致なら、おそらく現在も容子さんは生きているはずです。現在41歳、無事に帰ってきてくれれば良いのですが。





2017年4月12日水曜日

茨城県藤代町・根本直美さん行方不明事件

昭和62(1987)年6月20日(土曜日)、茨城県北相馬郡藤代町大曲(現・取手市大曲)の根本直美さん(15歳)が行方不明になりました。



当時、直美さんは高校1年生で、テニス部の部活動を終え、友人たちと自転車で帰宅。友人と別れ一人になった帰り道に消息を断ったものです。

直美さんの通っていた高校は藤代紫水高校。自宅は藤代町の大曲にあり、ほぼ真東の位置に当たります。

直美さんの身長は168cm、体重は52kgということで高1女子としては痩せ型で身長が高めという感じでしょうか。近視だったそうで、本人の特徴としては右のふとももに子供の頃のやけどの跡が薄く残っているということです。

ソース元:
荒木和博BLOG 荒木さんのブログから引用します。
【失踪状況】
テニス部の部活を終え下校する。
途中まで友達と一緒に帰り、午後7時頃その友達と別れて以後行方不明。
友達と別れた交差点から自宅までの中間地点にある神社の近くで自転車と本人のバッグが見つかった。

1987(昭和62)年6月20日(土曜日)、高校1年生の根本直美さん(当時15歳)は学校での部活を終え、他の部員8名とともに自転車で自宅に向かう途中、自宅まで約800mの地点に架かる『小貝川橋』のたもとで午後7時15分頃、部員達と別れ、一人で川沿いの道を自宅方向に向かったが帰宅せず、心配した母親が様子を見に行ったところ、自宅から約400m程の位置にある『熊野神社』前の土手に直美さんの自転車が倒れ、通学時に持っていたバッグも放置されているのを発見し、周辺を探したが直美さんは見つからず行方不明となった。

当日の夜は父親が神社裏手の集会場で地域の会合に出席するため午後7時頃にこの道を自家用車で通過していたが「不審な車両や人物を見た記憶はない」という。
一方、警察の捜索では警察犬も投入して捜索を行ったが、自転車が放置された場所から先の自宅方向に警察犬は動かず、直美さんの足取りは『熊野神社』前で消えている。
失踪直後直美さんの実家には3日間、警察が泊り込みで捜索に当たったが、警察が引き上げた直後の夜に無言電話があり、母親が電話口で「もしもし?」と呼びかけると電話は切れ、その後はいたずらと思われる電話が2回ほどあったのみである。

また直美さんを探していた両親は後日、直美さん失踪の前日(6月19日金曜日)の夜に直美さんの自転車が放置されていた熊野神社(大曲地区)の対岸にある藤代地区で「会社帰りの女性が白い車に追いかけられた」との情報を得たが人物の特定が出来ず、真偽は不明のままとなっている。
当日も直美さんと一緒に部活に参加していたが、3年生は早く練習が終わり、姉は午後3時か4時頃には帰宅している。

地図的には以下のような状況になります。



直美さんはAの小貝川橋で友人と別れ、友人らはこの地図で言うところの藤代小側に向かい、直美さん自身は小貝川に沿う形で南下したと思われます。

Bの失踪現場付近をクローズアップしてみます。




まず、報告書にあった「熊野神社」という表記ですが、この近辺に熊野神社は存在せず、大曲地区周辺で該当する神社はこの「日枝神社」のみです。

直美さんは赤いルートか、青いルートを通って自転車で帰宅していたものと思われます。
(藤代バイパスというのがハッキリ出来たのは1990年代以降で、この立体交差のような道はなかったかもしれません。つまり青ルートで帰っていたかも。しかし荒木さんのレポートでは土手側ということになっていますので赤ルートかもしれません。)

行方不明当日、大曲集会場で会合していたお父さんは、19:15分頃に直美さんがいなくなったであろう場所を19:00頃に通過していますが、不審な車などを確認出来ていません。

ところでこの神社~大曲地区がある場所はちょうど土手がぐるりと囲んでいて、周りから見えづらい状況になっています。



グーグルのストリートビューで見てもそれは一目瞭然です。





ご覧の通り対岸からは全く見えない状態です。
また、神社付近は家もまばらで拉致し易い環境といえるでしょう。

警察犬の臭気判定でも神社で匂いが切れているということですし、車に乗せられ拉致された可能性が高いものと思われます。
それが北朝鮮の手によるものなのか、日本人の手によるものなのかは不明ですが・・・

ただ1987年ごろはまだ北朝鮮の日本人に対する拉致が行われていた時期に合致しますし、バッグの中のお金(1万円強)が手付かずで残されており金銭目的でないこと、バッグや自転車などが放置されていて発覚を恐れない大胆な手口であり、捜査が始まってもすでに日本にいないこと前提で動いているであろう事など、極めて北朝鮮による拉致の線が濃厚であると言えるでしょう。